成立之初以成为“日本的 Portishead”为目标,再至成功探索出属于自己的声音,由 Yumi(主唱),Soto(贝斯),Kazi(队长/鼓) ,Tsuyoshi(吉他)组成的 REDЯUM 完全可以称得上是一支充满个性而具有艺术表达意识的独特队伍。在Trip Hop、Alt Rock 为基底的音乐中,他们给不少乐迷都留下了深刻的印象,甚至诸如土屋昌巳、杉原康弘(X Japan, Luna Sea)、渋谷潤(honeydip)这样同样深受乐迷喜爱的音乐人——2009 年这支乐队解散,而在 16 年后的 2025 年 4 月,REDЯUM 又于 Flowers LOFT 惊喜宣布了复出演出,并与 Flowsonix 一起来到了中国带来一场专场演出。赶在专场之前,UPEE 有幸与 REDЯUM 进行一期专访,鼓手 Kazi 回复了我们的提问,分享过去一段时间 REDЯUM 的感受、重聚的契机以及对本次演出的期待。
UPEE:自 09年 Yumi 暂退、REDЯUM 停止活动以来,很多乐迷都好奇你们最近在做什么,可以在这里与大家分享吗?而在今年的4月,你们又宣布了在 Flowers LOFT的复出演出,是什么契机让乐队成员们再次聚集起来,决定再次以 REDЯUM 进行活动的呢?
KAZI:2009年解散时,是因为YUMI想作为一位女性去体验音乐以外的人生。
解散之后,我一直继续着音乐活动,但心里始终想着YUMI、TSUYOSHI和SOTO。想着如果有机会,总有一天要再和他们一起做音乐。实际上解散后,我们曾多次在共同朋友的追悼活动或私人派对上重聚过。
然后在2021年左右,为了庆祝乐队成立25周年,我们再次聚首并策划了演出,但因为新冠疫情而中止了。终于等到情况稳定,得以在2025年4月26日完成了演出。
2009年に解散した時はYUMIが音楽だけではなく1人の女性として人生を歩みたいという理由でした。
解散してから私は音楽活動を続けていたましたがいつも頭の中にはYUMI,TSUYOSHI,SOTOのことがありました。
機会があればまたいつか彼らと一緒に演奏したいと。
実際に解散してから何度か共通の友人の追悼イベントやプライベートパーティーなどで再集結しました。
そして2021年頃に結成25周年を祝して再び集まりライブを企画しましたがコロナウィルスにより中止。
ようやく落ち着いて2025.4.26にライブができました。
UPEE:乐队起初以 Portishead 为目标,在后续的发展中也探索出了属于自己的声音。很多乐迷认为你们的音乐里拥有许多实验与解构的元素,以及一些 90s 日本地下音乐的气质,可以分享你们是如何探索出自己的风格的吗?
KAZI:在风格上,主要是我和TSUYOSHI在主导。
我们两人当时深受深夜电视里播放的Portishead的冲击,也迷上了被称为布里斯托之声(Bristol Sound)的Massive Attack、Tricky等,心想着“要用日语、通过现场演奏来做这样的音乐!”,这就是我们组建乐队的初衷。
我们成员各自受到的音乐影响非常多样化,包括New Wave、Hip-Hop、朋克、摇滚乐等等,多到数不胜数。
サウンド面においては私とTSUYOSHIが中心となっています。
2人は当時深夜のTVから流れてきたportisheadに衝撃を受けました。
同時に英国ブリストルサウンドと呼ばれMassive Attack,Trickyに夢中になり「こんな音楽を日本語で生の演奏でやりたい!」というのが結成のいきさつです。
影響を受けた音楽はメンバーそれぞれにバラバラでNW,HIP-HOP,PUNK, rock'n'roll.書ききれないほど様々です。
UPEE:拥有与自己的影响来源所不同的、属于自己的声音,对于创作者来说是一件很特别也很重要的事。你们会如何形容 REDЯUM 的音乐,时隔多年之后再看待当时的创作会有什么不一样的感受吗?
KAZI:我之前几乎没再听过当年的作品,这次为了重组,时隔许久重新聆听后十分惊讶 ——20 多年前的我们竟创作出如此锐利而优美的音乐,既自豪又欣喜。
REDЯUM 的音乐是在录音室通过即兴 jam 自然生成的,简直像奇迹一样。那是我们四人各自音乐背景在无意识中相互融合的声音。我们并没有特别刻意地去商量或沟通,而是在录音室的即兴演奏中自然而然地创作出来的。
私自身当時の作品を聴き直すことはほとんどなかったのですが今回の再結成のために久しぶりに音源を聴いて驚きました。
20年以上前にこんなにも鋭く美しい音楽を作っていた自分たちを誇らしく思い嬉しくなりました。
REDЯUMはスタジオでセッションで曲を作り上げてきたのでとても自然に奇跡的にあのサウンドができたと思います。
4人のバックボーンにある音楽が無意識に混ざり合ったサウンドです。
特別しっかりと打ち合わせたり意思の疎通を図ったわけではなくナチュラルにスタジオのセッションで作り上げられていきました。
UPEE:自99年同名作品《REDЯUM》发行以来,乐队就一直处在一个很高产的状态,几乎每年都有新作问世,可以分享当时的状态是什么样的吗?你们是如何创作音乐的,平时乐队之间相处的模式又是怎么样的?
KAZI:当时我们充满冲劲,总想不断挑战新事物,于是大量创作新作,那是一段非常快乐的时光。
我们的表达方式越来越自由,来现场的观众也越来越多。
20 多岁到 35 岁左右,我们每周有两到三次在录音室排练,四人几乎形影不离,生活中除了 REDЯUM 别无其他。
当時はがむしゃらで次々と新しいことに挑戦したくなり新作を量産しました。
とても楽しい時間でした。
表現はどんどん自由になりライブ会場に来るお客さんも増えていきました。
我々は20〜30代半ばまで毎週2.3回スタジオにてリハーサル、たくさんの日々を4人で過ごしました。REDЯUM以外は他に何もなかったです。
UPEE:乐队的名字“REDЯUM”与《闪灵》里“Murder”的写法相同,是如何想到将它作为乐队名称的呢?
KAZI:乐队名的确是引用自《闪灵》。我们也是库布里克作品的粉丝,这个名字本身并没有特别深刻的含义。
后来才知道世界上有很多同名的乐队,有点后悔了…
バンド名はシャイニングからの引用です。
キューブリック作品のファンでもあり特に深い意味はありません。
後に世界中に同じ名前のバンドがたくさんあるとしり後悔しました…
UPEE:关于 REDЯUM 在未来有什么计划可以与大家透露吗?会不会有新的发行,或者关于旧作的再版,以及关于巡演的消息?
KAZI:现在YUMI住在离我们很远的地方。
今后,万一她搬到东京附近这种方便以东京为中心活动的地方居住的话,就有可能进行更多的现场演出,甚至真正地重启乐队活动。
今はYUMIが遠く離れた場所に暮らしているので
今後、万が一、東京中心に活動できるような土地に住む事になれば、もっと多くのLIVEをしたり本格的な活動再開となる可能性はあります。
UPEE:马上要进行的专场演出是 REDЯUM 的第一次中国公演,成员们对此有什么期待吗?
KAZI:首先,成员们都非常感谢和感动于有这么多朋友一直等待着解散已久、长期未活动的我们。
我们相信音乐能够超越国籍和语言。REDЯUM 的声音并不华丽,但会像静燃的火焰一般,细细雕琢每一个音符,以期触动大家的心灵。我们希望与前来观看演出的各位,共同创造一个难忘的夜晚。
まず、解散して長い間活動をしていなかった我々を待っていてくれた方々がたくさんいることにメンバー一同感謝と感激です。
音楽は国籍や言葉を超越すると思っています。
REDЯUMのサウンドは派手ではありませんが静かに燃える炎のように一つ一つの音を噛み締めて皆さんの心に響くように演奏します。
観にきてくれた皆さんと我々とで忘れられない夜にしたいです。